特待生制度を悪とする偏った平等思想

野球特待生制度、導入を正式決定 高野連、12年度から
特待生の制限(1学年5人以内)を目的とする。
http://www2.asahi.com/koshien/news/OSK201105270088.html


こういう偏った健全性を求める人って、何なんでしょうか。
特待生制度を悪と考える思考回路の根底にあるのは、
狂った平等思想なのではないでしょうか。
最終目的は、各高校の戦力の均一化ですか?
外的な力で各高校の戦力を均一化して、
それで緊迫した接戦の試合が増えたとして、
それで感動出来るんでしょうか、出来る人はちょっと可哀相ですね。
弱いチームが、強いチームに挑んで
善戦・勝利するからこそ生まれる感動すら否定するんですかね。


才能ある人間が平凡な高校に入って、
予選の1・2回戦で負けて、才能が埋もれていくかも知れない。
それでも特待生は悪だと言うのでしょうか。
そのクセ、WBCやオリンピックなどの世界大会では、
「頑張れ日本」などと、スポーツの発展を願っている。
そこにある思想は平等ではなく、競争なのです。
このダブルスタンダード。全く意味が分かりません。
優秀な人材に、優れた練習環境を与えて才能を開花させる。
これの何がいけないんでしょうか。
単純に大した考えも無く、
学生スポーツにのみ健全性を求めているのでしょう。
自分達に都合の良い様に学生同士を戦わせて
感動したいそうです。傲慢な話です。




そもそもスポーツってのは理不尽なものだと思います。
自分も学生時代は野球部でしたが、
自分より野球が上手い下級生なんて普通に居ました。
何だったら、バスケ部員とかの方が野球上手かったかも知れません。
自分が1年かけて努力しても、運動神経が優れた人は数日でマスターする。
スポーツは、そんな世界だと思います。
でも誰も恨んだりしませんでしたし、
レギュラー取れる様に練習してましたよ。
他レギュラーよりも能力が劣るのに、
試合に出してもらっても糞程も嬉しくありませんよ、
カツノリじゃあるまいし。
そうやって自分よりも優れた能力を持つ選手だけで大会に出ても、
普通に強豪高にフルボッコに合う。それがスポーツってもんでしょう。
それでも腐らずに練習して大会へ挑む。
そこには、アホな大人が掲げる健全性ではなく、
真の健全性があるんじゃないでしょうか。




申し訳ないですが、特待生制度に反対している方々は、
スポーツに打ち込んだ経験が無いんじゃないでしょうか。
で無ければ、こんなズレた主張は普通出てこないでしょう。
本当に馬鹿げてますね。
スポーツにおける平等なんて甘えた考えには反吐が出そうです。